頭の中の『やってはいけない』

私の頭の中には

 

『やってはいけない』

 

がいっぱい詰まっている。

 

 

 

何かの拍子にそれに気づく。

 

気づいては自分の「しつこさ」にびっくりし、

 

そして、必要なのか、手放したいのか、自分に聞いてみる。

 

そんなことの繰り返しだ。

 

 

 

今朝は久しぶりに見つけたアジアの梨を剝いていた。

 

(真冬なのにどっから来るんだろうね?)

 

 

 

ふと、初めて梨を剥いた時を思い出す。

 

 

小学校の高学年ころだったと思う。

 

ゆっくり丁寧に剥いたら、とてもきれいに薄く皮が剥けた。

 

うれしくて、自分が誇らしくて、「見てみて!」と母に見せる。

 

 

母はひとこと。

 

『梨の皮はもっと厚く剥かなくちゃ。リンゴじゃないんだから。』

 

 

私の頭の中に

 

『梨の皮を薄く剥いてはいけない』

 

が残った。

 

 

 

そんなことを思い出すと言うことはまだ根に持ってるんだな、

 

と思って、そんな自分が「しつこく」て笑える。

 

 

笑いながら、梨をくるくると剥く。

 

もう、皮の厚さなんて考えない。

 

なんとなく、感覚で。

 

適当に。

 

上手に手が動くなあ、美しいなあ。

 

剥いた梨はみずみずしくて、甘くて、おいしかった。

 

 

 

まだしばらく、梨を剥くたびに思い出すんだろう。

 

そして、自分の「しつこさ」に笑うだろう。

 

 

でも今、私は

 

『梨の皮を薄く剥いてはいけない』

 

はどうでもいいことだと知っている。

 

 

 

頭の中に詰まっている、自分が信じている

 

『やってはいけない』のほとんどは

 

『どうでもいいこと』なのだ。