波打ちぎわをさすらえば

波打ち際を歩くのが好きだ。

 

ここは海であって海でない。

陸であって陸でない。

 

時に温かく、

時に冷たく足に絡まってくる波と

足裏の砂の感触を味わいながら

ただプラプラと歩く。

 

打ち寄せる波は決して同じ形を作ることはなく見飽きることがないが

時に思いもかけない大きな波が来て驚かされる。

 

 

 

私にとって外国を旅することは海に飛び込むこととちょっぴり似ている。

 

「プールでは泳げるけれど、足がつかないところに行って大丈夫なのかな?」

=英語は何となく話せるけど、ネイティブや違う言語の人に囲まれたらどうしよう?

 

でも、ひとたび飛び込んでしまえば 

見たことのない景色や生きものに夢中になり

何よりそこでの自由さ、身体の軽さや解放感に魅了される。

 

それと同時に陸で当たり前に思っていた空気の大切さや

大地に立たせてもらっている安心感を痛いほどに感じる。

 

そしてまた陸に上がった途端、自分の身体にのしかかる重さに驚くのだ。

 

 

どちらかにずっと居ると、その大切さを見失ってしまう。

だから出来るだけ、波打ち際に立っていたい。

 

陸の尊さを知りながら海を感じ、

海の素晴らしさを知りながら陸を感じていたい。

 

 

ひょんなことからアメリカに移住することになった。

私の陸が海に、海が陸に変化しようとしている。

 

波打ちぎわをさすらいながら 、

不思議で濃密なこの数年間の出来事や

これから先の気づいたり感じたりしたことを

つづっていきたいと思う。

 

どうぞ、よろしくお願いします。